帰れなくなったよ

僕は今、家族そろってご飯を食べているときが一番幸せです。
この時期なので、茄子やキュウリの漬け物、ピーマンと茄子の焼いたやつ、
ミョウガ、オクラ、ゴーヤーチャンプルー、冷や奴などなど僕の好きな食べ物が食卓に並んでいるのです。
こんなに幸せに感じることはありません。
いつもたまに帰ると、気を遣ってか奮発して焼き肉とかご馳走を振る舞ってくれるのですが、
自分にとってはどんなぜいたくで高い食べ物よりも、
いつもの家庭料理が一番のご馳走なんです。
それを察知してか最近はいつものメニューが食卓に並ぶようになりました。
やっぱり、ご飯は一人で食べるより大勢で食べる方がはるかにおいしいですね。
東京ではいつも一人でカップ麺やら納豆ご飯やらで寂しく済ませているので尚更そう感じます。
これが家族を持つ幸せなのかとしみじみ思いました。
チャットモンチーの曲でもありましたが、
私もいつかこんな風に人を愛せるだろうかと
こんな家庭を築けるだろうかと思いました。
自分自身いつ死ぬかわからないし、
正直、30まで無事に生きているかすらもわかりません。
この7年来の神経痛や後遺症を克服できれば、明るい未来が自分にも訪れると思うんですがね。
どうなるかはわかりません。

先日、76歳になる祖母と迎え火をしながらちょっと話をしていたのですが、
その中で自分はこの家の8代目であることを知らされました。
この時期になると矢張り生死のことを見つめずにはいられないわけで、
こんなことは余り言いたくないけど、祖母だっていつかは…というわけで、
正直、おばあちゃんっ子の自分にとって
家に帰って祖母がいないなんてこと考えられないし、考えたくもない。
だけど自分が生きてる限り、悲しいことにいつかは絶対そういう場面に立ち会うわけで。
本当に生死とは残酷なものです。
なので思わず『本当に長生きしてやー、死ぬのは俺が死んだあとにしてな、絶対だで』と帰り際にポツリと祖母に言ってしまいました。

そういうことを通じて、与えられた境遇は辛いけど、
自分という人間がただ生きているというだけで喜んでくれる人がいるのだとつくづく感じ、
死んじゃいけない頑張って生きなければという教訓を深く深く心に刻むことができました。


久しぶりに地元の友人に会うと、節々に「おい、芸能人さんよ」と言われます。
芸能人も何も弱小無名事務所に三ヶ月居ただけで今は完全なるフリーなのに、
そんなこと言われたら頑張らずにはいられなくなって。
でも今は療養に専念したいし。
複雑や。