自宅生になりたい

昔の資料を引っ張り出して見ていたら、
自分の理想のプロフィールが書いてある落書きを2枚見つけて、
それぞれ経歴の欄に『鳥取東高‐同志社大、職業社会科教師』と『八頭高‐日本大学芸術学部演劇学科中退‐東京NSC』と書いてあって、
何一つもかすってすらいない現実に虚しくなった。


甲子園の季節になるといつも想像してしまう。
自分が甲子園に出て活躍している姿を。
左投左打のセカンド、ヤクルト青木と元阪神片岡を足したような変則打法、
且つちっちゃい体格ってことで熱闘甲子園かなんかで取り上げられて話題になり、
迎えた初戦の対徳島北戦、9番セカンドで先発出場。
2点ビハインドで迎えた9回表一死1塁3塁の場面から、
内角低めに来たカーブをヤクルトの真中ばりに思いきりフルスイングして引っ張り、
ライトポール際に逆転の3ランを打ち、
チームの甲子園初出場初勝利の原動力となる。
それをきっかけにチームは勢いに乗り、2回戦で光星学院を撃破するも、3回戦(対沖縄水産)で惜しくも敗退。
しかし、それ以来、その年のネタ選手として多くの高校野球ファンに語り継がれるようになり、
『お父さんさんはね…甲子園でホームランを打ったことがあるんだよ』が口癖となる。
あーなんていい人生なんだろう。

現実は厳しい。