第一章

 ルーズリーフは優秀だ。あるときは授業用ノートに、またあるときはメモ用紙に、またまたあるときは落書き帳にと、状況に応じて元読売巨人軍元木大介ばりのユーティリティーぶりを発揮するからだ。
これが中学校までなら国語なら国語用、数学なら数学用と、各教科様専用のノートをご用意しなければ先生が黙っていなかった。しかし、高校までくると義務教育でないことから、ある程度自由になり、ルーズリーフをノート代わりにすることも認められるようになる。これを逆手に取ったか、ただ単にカッコ良く見えるからなのか、クラスの連中は馬鹿の一つ覚えのようにルーズリーフを多用していた。その昔、元横浜ベイスターズ監督の権藤博が、選手時代に連投に連投を重ね、チームの大車輪として活躍した姿を比喩した言葉に『権藤、権藤、雨、権藤』というのがあるが、まさにウチのクラスでは、ここぞとばかりにルーズリーフを毎時間登板させていた。たまには休ませてあげないと生産も追いつかなくなるじゃないのなんていう余計な不安も、現在の日本の産業の発達具合を見ればすぐに解消されるものだ。また、嬉しい事にこのルーズリーフは、モノによっては二百枚入りで二百円前後というロープライスで売り出されてあることから、金の無い貧乏学生にも手軽に購入することができるようになっている。更に、いちいち科目数相応のノートを持ち歩かなくてもいいからカバンがかさばらない上に、いざ誰かに「この前の授業のノート貸して」と頼まれてもすぐさま”必要な部分”だけを外してサッと渡すことが出来る。こういった点からも、ルーズリーフは学生の事情をよく理解していて誠にありがたい。こういったルーズリーフの万能さを見ていると、教科ごとにカラフルなノートを買って、馬鹿でかい字で科目名と学年、出席番号、名前を書き記している女子がとても卑しく思う。女子としては、かわいいポイント向上の為にそういった姑息な手段を用いているのだろうが、オレから見れば、そういったことははっきりいってどうでもいい。何のまいぶれもなく突然語りだす担任の過去の恋愛話ぐらいどうでもいいことなのだ。
 そんなことを考えているうちに、手元のルーズリーフは、オレのこれまた果てしなくどうでもいい落書きでいっぱいになった。残念なことに、こいつはあとはくしゃくしゃに丸めてゴミ箱ポイという何も世間に貢献できぬまま実にあっさりと生涯を終えることになる。
「ゴメンな、こんなどうしようもない主人で」
 あと少しで四限目終了のチャイムが鳴る。ゆっくりとシャーペンを置き、ふと顔を上げると、教師の自己満足感ムンムンのオナニー授業が繰り広げられていた。教壇に立つ薄っすら頭の禿げたおっさんは、何やらやたらと織田信長を持ち上げ、ああだったこうだったと熱弁している。言うまでもないが、今は平成時代だ。おっさんが言う人が活躍していたのはもう四百年以上前のこと。一体、このおっさんはいつまで過去の偉人の死を引きずっているのだろうか。惜しい人を亡くしたというのは大いにわかるけど、そうやっていつまでもくよくよしてるから頭が禿げるんだと一喝してやりたい気分だ。この織田信長とやらがおっさんと血が繋がっているかなんか知らないが、いい加減この人のことは忘れて、もっとまともな授業ができるようもう少し努力してみてはいかがだろうか。
 オレが、筆記用具をペンケースにしまい終えたとき、「みなさーん、待ちに待ったお昼休みの時間ですよー」と言わんばかりに授業終了を告げるチャイムが鳴った。
 おっさんはまだまだ話し足りなかったらしく、「であるからして〜」と教科書片手に語り続けているが、クラスの連中はそれをガン無視をして、荒々しく席を立ち、「早く終わらせろよ、ハゲ」といった空気を醸していた。
 
 昼休みほどくだらない時間は無い。女子は女子でわざわざ机を合わせて仲良い者同士囲むようにして座り、もはや恒例行事となったお弁当の中身の見せあいっこをして、誰が流行らせたのか馬鹿丸出しのちっちゃいフォークでおかずをつつきながら、「タッキーマジカッコ良いよね〜」といった薄っぺらく当たり障りの無い芸能人の話や、「バスケ部の吉沢君いいよね〜」など、どこまで本心なのかと問いたくなるような恋愛談義に花を咲かせている。一方の男子はというと、いわゆる目立つグループと地味めのグループ、どちらにも属さない残念なグループの三つに分かれ、それぞれ騒ぐなり、淡々と食べるなりして休み時間を過ごしていた。
 そんなオレは、教室の隅っこの窓側の席で静かに食す、”寡黙でミステリアスなキャラ”を装っていた。別に一人でいるからって、寂しいとか辛いとかは思ったことはない。確かに、ただでさえつまらない高校生活を一日中、一人とも口を利かず過ごすのはつまらないことこの上ない。だが、オレからしてみれば、こんなレベルの低い連中にノリを合わせてつるむ方がよっぽど苦痛なのだ。
「オレが浮いてるのは周りのレベルが低いだけ」
こう言い聞かせて自分を納得させようとしてはいるが、やはり劣等感は拭えなかった。家と学校をただただ往復するだけの毎日。嫌気が差すのも無理はない。だからといって、そんな日常を変えたいとも思わない。無理してクラスメートの興味を惹くようなことをしたり、いきなりハイテンションキャラを演じて前に出ようとしたりしたって、冷たい視線を浴びるだけだというのは普段のクラスでの地位を考えて見れば容易にわかる。むしろ、そういった余計な行動が、今の”寡黙”なキャラを壊してしまいそうで怖い。
「このままでいいんだ、このままで」
このまま卒業するまでずっと一人でいたほうが絶対楽だ。ずっと。ずっと。ずっーと…。
そもそもオレは如何にも青春を謳歌してますみたいな態度を取っている高校生が嫌いだ。彼氏彼女がどうだとか、放課後の部活、カラオケ、ゲーセン、買い食い……もう、全てが馬鹿馬鹿しい。本当、高校なんて無くなってしまえばいいのに。
机に顔を伏せて寝たふりをして過ごしているうちに長い長い昼休みが終わり、周りは机をガタンゴトンと自分の席に戻したり、次の授業の準備をしたりでややざわついていた。
「次、なんだっけー?」
「えーっと、アレじゃん。選択のヤツ」
「あー、物理か。マジめんでぇ」
「だよなぁ。マジ柳沢の野郎うぜぇよな」
といった毎度お馴染みの対話劇も客観的に見れば少し笑えてくるのが不思議だ。"慣れ"というものは恐ろしい。
結局、今日も誰とも言葉を交わすことなく六限目終了後、すぐさま自転車置き場へと向かった。
『本日、ワタクシ、本郷幸久が発した唯一の言葉は、朝の出席確認での「はい」の一言だけですが、何か?』
 きっと異議を唱えるものはいないだろう。だって、オレだもの。


 六月は実に中途半端な月だ。これといって暖かいわけでもなければ特別暑いわけでもない。いわゆる春と夏の境目に当たる季節だ。学校のクラスだって、新学期の緊張感から解放され、やや中だるみする時期。ただそれも一年生ならの話で、オレら二年生は、クラスのメンツも去年とほとんど変わらない為、「よし、やってやろう!」といったフレッシュな気分なんてものはない。これが進学校とかなら、二年生次に文系か理系かによってクラスが振り分けられるのだが、いかんせんウチは中堅もいいとこの典型的な中堅公立高校なので、そういった大学受験に対する配慮がなされておらず、三年生になってようやく進路に応じたクラス分けがされる。だから、もう仲良しグループなんてものは決まっているし、皆さん平均的な日本人らしく至って保守的な為、新たに別のグループに加わろうとか、あのグループと仲良くしようなんて考える人もいない。その為、高校デビューに失敗したものは必然的に孤立するというシステムになっている。オレもそのシステムを大いに利用して孤独ライフを楽しんでいる者の一人だ。そもそも人付き合いなんて面倒くさいだけ。いちいち他人の顔色やご機嫌を伺って気の利いた事を言ったり、くだらない事を言ったりするのが激しく無駄に感じる。毎日顔を合わせる癖にメールやら電話やらやりとりして、一体君達の関係は何なのかと訊きたい。いわゆる友達以上恋人未満ってヤツですかあーそうですか。
この自転車置き場もすっかりオレの憩いの場と化していた。もうコイツとは付き合って一年と三ヶ月になる。校舎から少し離れた所に年中無休でどっしりと構えているコイツは、
全校生徒分の自転車をゆうに収容できる程のスペースを備えており、また辺り一体は、春になると満開になり、よりいっそう趣きが増す桜の木に覆われていて、校内の慌しくざわざわとした雰囲気から開放されるにはもってこいの場所だった。そんなコイツは、今日も生徒さん相手に自転車の出はけを穏やかな表情で見守っていた。

今日もごくろうさん

そう心の中で呟き、いつも眺めている桜の木の下にそっと腰を下ろした。桜の木のそれが醸し出す独特の匂いに嗅覚と意識を奪われ、オレは無意識のうちに目を閉じていた。ふと耳を澄ませてみる。聞こえる。甘酸っぱい、甘酸っぱい青春の音が。吹奏楽部の上手いのか下手なのかわからない演奏に、野球部の気合だけは一丁前の掛け声に金属バットがボールを捉える音。体育館からは、バスケットボールを何度も地面に叩きつける音に、激しくこすれるスパイクの音。そして、自転車置き場へと向かう生徒達の楽しそうな話し声。「ああ、青春だなぁ」と思わず口にしてしまいそうな、甘酸っぱさがここには溢れていた。
 それからどのくらいの時間が経っただろうか。ふと気がつくと、辺りは夕日に覆われ、やや薄暗くなっていた。「やべぇ、寝ちまった」と焦ったってもう後の祭り。もうすっかり校舎は人けがなくなり、静寂としていた。「まあ、たまにはいいか」と言い聞かせながらゆっくりと立ち上がり、淡々とマイ・バイセクルの止めてある場所へと歩いた。この桜の木を右方向へ、一直線に続く通路を抜けて奥の方へ行くと、オレがいつも止める"陣地"がある。陣地といっても月極駐車場じゃあるまいし、別にオレ専用のスペースというわけではない。ただ単に、入学以来、毎日ここに止めるのが日課である為、この"陣地"に置かないと1日が始まった気がしないのだけなのだ。よくあるバスを降りる際に誰よりも早く降車ボタンを押さないと気が済まないといったアレと同じ心情だと察していただきたい。多分、卒業までこの陣地にはお世話になるんだろうな。そう思いながら、ズボンのポケットから鍵を取り出し、数字を指定の暗証番号に揃えてチェーンを外した。
 "コイツ"に軽く一礼をして校門を出ると、一目散に自転車を漕いだ。通学路となっている閑散とした田んぼ道をただひたすら駆け抜けた。「人生なんて、人生なんて」と心の中で叫びながら、これまでにないぐらいの速さでペダルを回転させた。その時、ふと「明日、筋肉痛になりそう」と一瞬冷静な考えが頭に浮かんだが、そんな思いは関係なしに猛スピードで漕ぎ続けた。まだまだ田んぼ道は続く。オレは、このままどこか遠くへ行ってしまいたい気分になった。