俺流中学物語

俺は中学のとき、改名がしたくてしたくてたまらなかった。
とにかく平凡な自分の名前が嫌で、
珍名に対する憧れを持っていたからだ。
当時の俺は、暇さえあれば電話帳を開いて読んでいるほどの
世にも奇抜な生っ粋の「名字マニア」で、
中1のときは、とにかく画数の多い名字や四文字名字、
中2から中3にかけては特徴のある沖縄の名字にハマっていた。
で、その当時の情報源といったらもちろんネットと電話帳で、
また新聞やニュース、テレビ番組などを見て、
これぞと思った名字を見つけると、
その度に専用のノートに書き込んでいた。
それほど俺は「名字」が好きだった。
それは名字研究で飯が食えればとも思っていたほど。
しかし、その趣味は当然のごとく他人には理解されず、
友達や家族からはことごとく「変だ」と言われ、
「マニア」という地位をほしいままにしていた。
しかし、他人から何と言われようが、俺は名字探索をやめることはなかった。
むしろどんどん名字の魅力に洗脳されていった。
そんな俺が、当時好きだった名字は、
「瑞慶覧(ずけらん)」「仲村渠(なかんだかり)」「勢理客(せりきゃく)」といった
沖縄特有の名字から、
「勘解由小路(かでのこうじ)」「熊埜御堂(くまのみどう)」「入慶田本(いりけだもと)」
「臺(うてな)」「綾(あや)」といった珍名、
また比較的世帯数の多いものでは「本郷」という名字が好きだった。
そんな俺の名字は全国的に言えば、
大体名字の珍しさで言えば750位前後。
1000位以内に入っているということは、
全く珍しくもなんともない、むしろ多い方に位置するの名字なのである。
だから俺は自分の名字が嫌で嫌でたまらなかった。
苦痛でさえも感じていた。
「珍しい名字がよかったなぁ」という思いが、
自分の名前を書く度に頭をよぎっていた。
しかし、名字というものは簡単に変えられるものではない。
変えられるとしても、それはあまりにも奇怪な名字や難読な名字に限り、
俺のような普通の名字は到底変えられるはずがない。
それがわかっていたから俺は改名を諦めた。
中3の夏辺りのことだった。
(諦めるもなにも絶対に変えられるわけがないんだが。)
そして今、
あれだけ嫌いだった自分の名前をラジオネームとして使い、
ラジオにちょこちょこながらも投稿をしている自分がいる。
そのことを考えると、自分の名字は平凡で良かったなぁと思う。
もし自分の名字が特殊な読み方だったり、
難しい漢字が使ってある名字だったら、
パーソナリティの人にも読んでもらえないからね。
だから俺は、今は自分の名字も名前も好きだ。
あのとき抱いていた憎悪感がウソのように、
自分の名前を堂々と言える。
…全く、人の運命というものはなんともわからないものだ。