理由

俺が「何が何でも大学に行きたい」と思うようになったのにはいくつか理由がある。
まず一つは家族の影響によるもの。
俺の父は、
県内NO.1の進学校から有名難関私大に進み、
在学中に中学校理科の教員免許を取得するなど、
絵に描いたようなエリート街道を歩んだ。
そんな父の背中を見て育った俺は、
幼い頃から、
「学歴」というものを思い知らされ、
何かと俺を惑せていた。
そしてそんな父の血を受け継いだのか、
姉も成績優秀で、
某国立大学に現役で合格している。
「父も姉もエリート」
そうなると当然俺も…
となるはずだが、
俺は全く勉強ができなかった。
特に英語は群を抜いてできず、
どんなに頑張っても6割程しか点がとれなかった。
〝バカ〟
この二文字が重くのしかかる。
その惨めな解答用紙を見る度に、
母は、「お姉ちゃんは〜で」と姉の武勇伝をぶちまける。
〝悔しい〟
…いつも父や姉と比べられる。
どんなに頑張っても父や姉には及ばない。
それでも母は、
「お父さんの血を継いでるんだから、あんたもできるはず」
と僕を励ましてくれた。
そんな母の気持ちを絶対に裏切りたくなかった。
だから俺は中3の夏、
姉も通った進学校を受験することを決めた。
無謀だということはわかっていた。
しかし、絶対に諦めたくなかったし、
進学校に入らなければ(家族に)認めてもらえない」という思いがあった。
それから塾にも通うようになり、
俺の受験勉強ライフがスタート。
しかし、
あまりメンタル面に強くなかった俺は、
時に死にたいぐらい深く悩んだりと、
勉強に集中できない日も多々あった。
今考えると、
当時俺には妙なプレッシャーがあったのかもしれない。
「親の期待」と「世間体」という。
当時の俺には、
「いい高校に入れば親や姉にも認めてもらえるし、
なにより近所の人に『何高?』と聞かれてもためらいなく堂々と答えられる!」
という思いが少なからずあった。
だから、「絶対に入らなければ」
というプレッシャーが大きな負荷となっていた。
それでも俺は勉強を続け、
夏に絶対行くと誓った進学校を受験。
筆記に面接と特に大きなハプニングが起こることもなく無事受験を終えた。
そして迎えた合格発表の日、
俺は父の車で高校まで行き、
「154」と書かれた受験票を握り締め、
高鳴る胸を抑えながら、
合格者の番号が張り出された掲示板のもとへと向かった。
「154、154…」
緊張感を少しでもほぐす為か、
俺はそのときはひたすら自分の受験番号を唱えていた。
ふと周りを見ると、
自分の番号を写メで撮ったり、
連れの人と抱き合ったりと、
合格の喜びを噛み締める人がいる反面、
掲示板を見て落胆した様子の人もいたりと、
そこはまさに天国と地獄…。
俺はそんな現場を目の当たりにし
若干の恐怖を感じながら、
掲示板に目をやった。
「154…154…。」
よくドラマとかでもある一つずつ目で追っていくあの感じ。
「149、150、151…」
いよいよ近づいてきた。再び胸が高まる。
そして………
「156」
〝え?…な、ない。〟
俺はその瞬間頭が真っ白になった。
そのときは、愕然とした感じでただぼーっと掲示板を見つめるだけだった。
心の整理がつかないまま、
「とりあえず結果を報告しなくちゃ」と思い、
重い足取りで父の待つ車へと向かう。
父は俺の表情を見ると、
全てを悟った感じで、
「そうか…」とだけ言い、ゆっくりと車を走らせた。
その帰り道、
俺は全てを話し、
あらかじめ滑り止めとして受けていた私立高校に行くということも告げた。
もちろん不合格だったことに納得はいかなかったが、
くしくも私立高校の入学手続きの締切は明日。
あれこれ迷っている余地などなかった。
そのとき父は、
落ち込む俺にこう言葉を掛けてくれた。
「よく頑張ったな。」と。
俺はそのとき涙が出そうになった。
いや、泣いていた。
そのとき俺は、
「次の大学受験では、絶対に…」
と心に誓った。
入学以後、進学のことなど考えずに
勉強そっちのけでラジオや投稿に没頭していた時期もあった。
しかし、あのときの誓いは確かに今も生きている。
…あのときの父の言葉と誓いがあるから、
今も頑張れている気がする。
中3の淡い不合格体験記だ。
(途中から趣旨が変わっちゃったな、、、)
まぁ、これが俺が大学を目指すひとつの理由です。